かつて小学校の音楽の教科書に掲載されていた仔牛の歌「ドナドナ」をご存知だろうか?世界各国で歌われており、イディッシュ(中東欧ユダヤ文化)の歌である。

この歌は、ホロコーストの体験に基づいたユダヤ人迫害を歌ったものであると指摘され、悲しい歴史を持った歌として紹介されることもある。「ドナドナ」は本当にホロコーストを歌った唄なのだろうか?

「ドナドナ」の歌詞について

まずは簡単にドナドナの歌詞をご紹介しよう。日本でよく知られているのは、柏原芳恵や山口百恵などの有名歌手の作詞を手がけた有名作詞家の安井かずみ氏によるものだ。

ある晴れた 昼さがり
いちばへ 続く道
荷馬車(にばしゃ)が ゴトゴト
子牛を 乗せてゆく
かわいい子牛 売られて行くよ
悲しそうなひとみで 見ているよ
ドナ ドナ ドナ ドナ
子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ
荷馬車が ゆれる青い空 そよぐ風?つばめが 飛びかう荷馬車が いちばへ
子牛を 乗せて行く
もしもつばさが あったならば
楽しい牧場(まきば)に 帰れるものを
ドナ ドナ ドナ ドナ
子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ
荷馬車が ゆれる

しかしこれは、もともとの「ドナドナ」の歌詞とは異なる。英語の歌詞を渡辺美奈子氏が訳したものによれば、本来の歌詞は以下のようになる。

1.縛られた悲しみと?子牛が揺れて行く。
ツバメは大空?スイスイ飛び回る。(繰り返し)
風は笑うよ?一日中。
力の限り?笑っているよ。
ダナダナダナダナ
ダナダナダナダン
ダナダナダナダナ
ダナダナダナダン

2.「泣くな!」農夫が言った。
「お前は子牛か??翼があったなら?逃げて行けるのに!」

3.捕らえられむざむざと?殺される子牛
心の翼で?自由を守るんだ!

本来の歌詞が、より直接的でストレートなものであることがわかるだろう。

こうした点も、「実はドナドナがホロコーストを歌った悲劇的な歌だ」という言説が生まれた要因になったことが想像できる。

「ドナドナ」の歴史

では、このドナドナは本当にホロコーストの悲劇を歌ったものなのだろうか?

例えば、この説を伝えるものとしては、「ドナドナ 意味」でGoogle 検索をおこなうと、2015年3月18日時点で1番トップに表示されるNaverまとめの記事に、以下のような記述がある。

『子牛』ではなく、捕えられ収容所に連れて行かれる『ユダヤ人』であると考えられています。「ドナドナ」はワルシャワの詩人イツハク・カツェネルソンが作詞者で、彼の妻と二人の息子が1942年に収容所へ連れられた時の印象に基づいて書かれた。ドナドナって言葉は牛を追う時の掛け声と『アドナイ アドナイ(神よ神よ)』を引っ掛けてるらしい。

しかし結論から述べると、これは歴史的な事実から考えて、明らかな誤りだ。

ホロコーストの歌ではない

なぜ「ドナドナ」が、ホロコーストの経験から生まれた歌ではないのか。それは、「ドナドナ」の作詞者がアーロン・ゼイトリン(Aaron Zeitlin)であり、彼がこの詩を書いたのは1940年という事実があるからだ。

この詩は、ニューヨークで上演されたイディッシュ語劇「Esterke」のために書かれ、1940年から1941年にかけて上演されたものであることが分かっている。

ホロコーストは、1942年から開始されており、すでにその前から存在した詩が、ホロコーストの目撃者によって書かれたという通説は、完全に誤りなのだ。

前述のNaverまとめに出てくるイツハク・カツェネルソンは、実際にベラルーシ・ミンスク近郊に生まれたユダヤ系の詩人であり、家族をトレブリンカ絶滅収容所に奪われている。彼もまたアウシュヴィッツで惨殺されたホロコーストの犠牲者ではあったが、彼が「ドナドナ」を作詞したというのは誤りだ。

アーロン・ゼイトリンとは?

加えて、このアーロン・ゼイトリンは確かにカツェネルソンと同じくベラルーシ生まれの人物だが、1940年に作詞を行った時には、アメリカで暮らしていたのだ。

もともとはベラルーシで生まれ、一時期ワルシャワにも住んでいたゼイトリンだが、1939年9月1日にナチス・ドイツによるポーランド侵攻が開始される少し前の同年3月に、彼はイディッシュ語劇作家であるモーリス・シュワルツの誘いを受けて、ニューヨークへと移住していたのだ。

アメリカに住んでいた人物が、1940年に書いた「ドナドナ」が、ホロコーストの経験から生まれた歌ではないことは明らかだろう。

「ドナドナ」はホロコーストと無関係か?

では、「ドナドナ」はホロコーストとは全くの無関係な作品なのだろうか。すなわち、仔牛が送られる悲しい風景を描いただけの作品なのだろうか?

どうやら、それもまた事実とは異なるようだ。

その謎を解くカギは、ゼイトリンがニューヨークでイディッシュ語劇の作詞を行っていたという事実にある。

19世紀後半に吹き荒れたポグロム

ゼイトリンのようなユダヤ人が、積極的に東ヨーロッパから離れていった理由として、19世紀後半から1900年代前半に吹き荒れた「ポグロム」の影響があると言われる。

「ポグロム」とは、ロシア語で「破滅・破壊」を意味する主にユダヤ人に対する集団的な迫害行為で、歴史的に幾度も繰り返されてきた。中でも1820年前後から始まる19世紀後半のポグロムは大規模なもので、多くのユダヤ人が、ロシア帝国や東ヨーロッパ諸国などで迫害を受けた。

1960年代にアメリカ・ブロードウェイで上演された著名なミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』では、主人公がポグロムによって村を追われるシーンがあるが、彼らの中には、迫害を受けた結果、アメリカを目指した者もいた。

アメリカで栄えたイディッシュ語劇

こうした歴史的経緯から、アメリカには多くのユダヤ人が流れ込み、新たな文化が形成された。イディッシュ語劇もまた、こうした歴史的帰結の1つであり、遠く故郷を離れたユダヤ人のコミュニティーにとって欠かせない風景となった。

細見和之氏による『ポップミュージックで社会科』(2005年、みすず書房)は、こうした歴史的背景が「ドナドナ」を生み出す素地となったと主張する研究の1つだ。

同氏は、ポグロムが「ドナドナ」が誕生する際の記憶に大きく影響を与えたと考えており、その後も「ドナドナ」はホロコーストの記憶を刻印し、最終的には弱者一般への歌へと普遍化させていく、と指摘する。

細見氏の指摘は、こうした「ドナドナ」の歴史的系譜を見る限りにおいて、非常に説得力があるものに見える。ベラルーシ生まれのゼイトリンだけではなく、「ドナドナ」の作曲家であるユダヤ系アメリカ人ショロム・セクンダもまた、ウクライナ生まれの人物だ。

彼らが直接的にポグロムを経験せずとも、その故郷や家族、そしてその記憶の中に、なんらかの迫害の痕跡を経験していたことは想像に難くない。

こうした意味で、「ドナドナ」がホロコーストと無関係であるということは決して出来ないのである。

本当は深い「ドナドナ」の真実

少しばかり前に、「本当は怖いグリム童話」といった類の読み物が流行ったことがあるが、ここには単に「ドナドナ」が「ユダヤ人の悲劇から生まれた歌です、本当は怖い物語です」というシンプルなストーリー以上の物語がある。

「ドナドナ」は直接的にホロコーストの経験によって生まれた詩ではなかったが、そこには19世紀後半にポグロムを経験したことで、ニューヨークへと移住したユダヤ人たちの歴史が、1つの記憶として閉じ込められていた。それは、「収容所に追い立てられるユダヤ人」を表しているだけでなく、長い歴史を通じて、ユダヤ人が迫害を受け、その物語を多様な方法によって “記憶” に残していった経緯をトレースしている。

反ユダヤ主義のみならず、イスラムフォビアやナショナリズムの問題がより先鋭化しているように見える現在、「ドナドナ」はどのように歌われるべきだろうか?そしてこの歌を、ヨーロッパでもニューヨークでも、そしてイスラエルでも歌うことはできるだろうか?

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